日語閱讀:趣味の遺伝(五)
「日記に何か書いてありますか? それは是非拝見しましょう」と勢よく云ったのは今から考えて赤面の次第である。御母さんは起(た)って奧へ這入(はい)る。
やがて襖(ふすま)をあけてポッケット入れの手帳を持って出てくる。表紙は茶の革(かわ)でちょっと見ると紙入のような體裁である。朝夕內(うち)がくしに入れたものと見えて茶色の所が黒ずんで、手垢(てあか)でぴかぴか光っている。無言のまま日記を受取って中を見(み)ようとすると表の戸がからからと開(あ)いて、頼みますと云う聲がする。生憎(あいにく)來客だ。御母さんは手真似(てまね)で早く隠せと云うから、余は手帳を內懐(うちぶところ)に入れて「宅へ帰ってもいいですか」と聞いた。御母さんは玄関の方を見ながら「どうぞ」と答える。やがて下女が何とかさまが入(い)らっしゃいましたと注進にくる。何とかさまに用はない。日記さえあれば大丈夫早く帰って読まなくってはならない。それではと挨拶をして久堅町(ひさかたまち)の往來(おうらい)へ出る。
伝通院(でんずういん)の裏を抜けて表町の坂を下(お)りながら路々考えた。どうしても小説だ。ただ小説に近いだけ何だか不自然である。しかしこれから事件の真相を究(きわ)めて、全體の成行が明瞭(めいりょう)になりさえすればこの不自然も自(おの)ずと消滅する訳だ。とにかく面白い。是非探索――探索と云うと何だか不愉快だ――探究として置こう。是非探究して見なければならん。それにしても昨日(きのう)あの女のあとを付けなかったのは殘念だ。もし向後(こうご)あの女に逢う事が出來ないとするとこの事件は判然(はんぜん)と分りそうにもない。入(い)らぬ遠慮をして流星光底(りゅうせいこうてい)じゃないが逃がしたのは惜しい事だ。元來品位を重んじ過ぎたり、あまり高尚にすると、得(え)てこんな事になるものだ。人間はどこかに泥棒的分子がないと成功はしない。紳士も結構には相違ないが、紳士の體面を傷(きずつ)けざる範囲內において泥棒根性を発揮せんとせっかくの紳士が紳士として通用しなくなる。泥棒気のない純粋の紳士は大抵行き倒れになるそうだ。よしこれからはもう少し下品になってやろう。とくだらぬ事を考えながら柳町の橋の上まで來ると、水道橋の方から一輌(りょう)の人力車が勇ましく白山(はくさん)の方へ馳(か)け抜ける。車が自分の前を通り過ぎる時間は何秒と云うわずかの間(あいだ)であるから、余が冥想(めいそう)の眼をふとあげて車の上を見た時は、乗っている客はすでに眼界から消えかかっていた。がその人の顔は? ああ寂光院だと気が著いた頃はもう五六間先へ行っている。ここだ下品になるのはここだ。何でも構わんから追い懸けろと、下駄の歯をそちらに向けたが、徒歩で車のあとを追い懸けるのは余り下品すぎる。気狂(きちがい)でなくってはそんな馬鹿な事をするものはない。車、車、車はおらんかなと四方を見廻したが生憎(あいにく)一輌もおらん。そのうちに寂光院は姿も見えないくらい遙(はる)かあなたに馳け抜ける。もう駄目だ。気狂と思われるまで下品にならなければ世の中は成功せんものかなと惘然(ぼうぜん)として西片町へ帰って來た。
とりあえず、書斎に立て籠(こも)って懐中から例の手帳を出したが、何分夕景(ゆうけい)ではっきりせん。実は途上でもあちこちと拾い読みに読んで來たのだが、鉛筆でなぐりがきに書いたものだから明るい所でも容易に分らない。ランプを點(つ)ける。下女が御飯はと云って來たから、めしは後(あと)で食うと追い返す。さて一頁(ページ)から順々に見て行くと皆陣中の出來事のみである。しかも倥傯(こうそう)の際に分陰(ふんいん)を偸(ぬす)んで記しつけたものと見えて大概の事は一句二句で弁じている。「風、坑道內にて食事。握り飯二個。泥まぶれ」と云うのがある。「夜來風邪(ふうじゃ)の気味、発熱。診察を受けず、例のごとく勤務」と云うのがある。「テント外の歩哨(ほしょう)散弾に中(あた)る。テントに仆(たお)れかかる。血痕(けっこん)を印す」「五時大突撃。中隊全滅、不成功に終る。殘念※」殘念の下に!が三本引いてある。無論記憶を助けるための手控(てびかえ)であるから、毫(ごう)も文章らしいところはない。字句を修飾したり、彫琢(ちょうたく)したりした痕跡は薬にしたくも見當らぬ。しかしそれが非常に面白い。ただありのままをありのままに寫しているところが大(おおい)に気に入った。ことに俗人の使用する壯士的口吻がないのが嬉しい。怒気天を衝(つ)くだの、暴慢なる露人だの、醜虜(しゅうりょ)の膽(たん)を寒からしむだの、すべてえらそうで安っぽい辭句はどこにも使ってない。文體ははなはだ気に入った、さすがに浩さんだと感心したが、肝心(かんじん)の寂光院事件はまだ出て來ない。だんだん読んで行くうちに四行ばかり書いて上から棒を引いて消した所が出て來た。こんな所が怪しいものだ。これを読みこなさなければ気が済まん。手帳をランプのホヤに押しつけて透(す)かして見る。二行目の棒の下からある字が三分の二ばかり食(は)み出している。郵[#「郵」に傍點]の字らしい。それから骨を折ってようよう郵便局の三字だけ片づけた。郵便局の上の字は大※[#「大」と外字に傍點]だけ見えている。これは何だろうと三分ほどランプと相談をしてやっと分った。本郷郵便局である。ここまではようやく漕(こ)ぎつけたがそのほかは裏から見ても逆(さか)さまに見てもどうしても読めない。とうとう斷念する。それから二三頁進むと突然一大発見に遭遇した。「二三日(にさんち)一睡もせんので勤務中坑內仮寢(かしん)。郵便局で逢った女の夢を見る」
余は覚えずどきりとした。「ただ二三分の間、顔を見たばかりの女を、ほど経(へ)て夢に見るのは不思議である」この句から急に言文一致になっている。「よほど衰弱している証拠であろう、しかし衰弱せんでもあの女の夢なら見るかも知れん。旅順へ來てからこれで三度見た」
余は日記をぴしゃりと敲(たた)いてこれだ! と叫んだ。御母(おっか)さんが嫁々と口癖のように云うのは無理はない。これを読んでいるからだ。それを知らずに我儘(わがまま)だの殘酷だのと心中で評したのは、こっちが悪(わ)るいのだ。なるほどこんな女がいるなら、親の身として一日でも添わしてやりたいだろう。御母さんが嫁がいたらいたらと云うのを今まで誤解して全く自分の淋しいのをまぎらすためとばかり解釈していたのは余の眼識の足らなかったところだ。あれは自分の我儘で云う言葉ではない。可愛い息子を戦死する前に、半月でも思い通りにさせてやりたかったと云う謎(なぞ)なのだ。なるほど男は呑気(のんき)なものだ。しかし知らん事なら仕方がない。それは先(ま)ずよしとして元來寂光院(じゃっこういん)がこの女なのか、あるいはあれは全く別物で、浩さんの郵便局で逢ったと云うのはほかの女なのか、これが疑問である。この疑問はまだ斷定出來ない。これだけの材料でそう早く結論に高飛びはやりかねる。やりかねるが少しは想像を容(い)れる余地もなくては、すべての判斷はやれるものではない。浩さんが郵便局であの女に逢ったとする。郵便局へ遊びに行く訳はないから、切手を買うか、為替(かわせ)を出すか取るかしたに相違ない。浩さんが切手を手紙へ貼(は)る時に傍(そば)にいたあの女が、どう云う拍子(ひょうし)かで差出人の宿所姓名を見ないとは限らない。あの女が浩さんの宿所姓名をその時に覚え込んだとして、これに小説的分子を五分(ぶ)ばかり加味すれば寂光院事件は全く起らんとも云えぬ。女の方はそれで解(かい)せたとして浩さんの方が不思議だ。どうしてちょっと逢ったものをそう何度も夢に見るかしらん。どうも今少したしかな土臺が欲しいがとなお読んで行くと、こんな事が書いてある。「近世の軍略において、攻城は至難なるものの一として數えらる。我が攻囲軍の死傷多きは怪しむに足らず。この二三ヶ月間に余が知れる將校の城下に斃(たお)れたる者は枚挙(まいきょ)に遑(いとま)あらず。死は早晩余を襲い來らん。余は日夜に両軍の砲撃を聞きて、今か今かと順番の至るを待つ」なるほど死を決していたものと見える。十一月二十五日の條にはこうある。「余の運命もいよいよ明日に逼(せま)った」今度は言文一致である。「軍人が軍(いく)さで死ぬのは當然の事である。死ぬのは名譽である。ある點から云えば生きて本國に帰るのは死ぬべきところを死に損(そく)なったようなものだ」戦死の當日の所を見ると「今日限りの命だ。二竜山を崩(くず)す大砲の聲がしきりに響く。死んだらあの音も聞えぬだろう。耳は聞えなくなっても、誰か來て墓參りをしてくれるだろう。そうして白い小さい菊でもあげてくれるだろう。寂光院は閑靜な所だ」とある。その次に「強い風だ。いよいよこれから死にに行く。丸(たま)に中(あた)って仆(たお)れるまで旗を振って進むつもりだ。御母(おっか)さんは、寒いだろう」日記はここで、ぶつりと切れている。切れているはずだ。
余はぞっとして日記を閉じたが、いよいよあの女の事が気に懸(かか)ってたまらない。あの車は白山の方へ向いて馳(か)けて行ったから、何でも白山方面のものに相違ない。白山方面とすれば本郷の郵便局へ來んとも限らん。しかし白山だって広い。名前も分らんものを探(たず)ねて歩いたって、そう急に知れる訳がない。とにかく今夜の間に合うような簡略な問題ではない。仕方がないから晩食(ばんめし)を済ましてその晩はそれぎり寢る事にした。実は書物を読んでも何が書いてあるか茫々(ぼうぼう)として海に対するような感があるから、やむをえず床へ這入(はい)ったのだが、さて夜具の中でも思う通りにはならんもので、終夜安眠が出來なかった。
翌日學校へ出て平常の通り講義はしたが、例の事件が気になっていつものように授業に身が入(い)らない。控所へ來ても他の職員と話しをする気にならん。學校の退(ひ)けるのを待ちかねて、その足で寂光院へ來て見たが、女の姿は見えない。昨日(きのう)の菊が鮮やかに竹藪(たけやぶ)の緑に映じて雪の団子(だんご)のように見えるばかりだ。それから白山から原町、林町の辺(へん)をぐるぐる廻って歩いたがやはり何らの手懸(てがか)りもない。その晩は疲労のため寢る事だけはよく寢た。しかし朝になって授業が面白く出來ないのは昨日と変る事はなかった。三日目に教員の一人を捕(つら)まえて君白山方面に美人がいるかなと尋ねて見たら、うむ沢山いる、あっちへ引越したまえと云った。帰りがけに學生の一人に追いついて君は白山の方にいるかと聞いたら、いいえ森川町ですと答えた。こんな馬鹿な騒ぎ方をしていたって始まる訳のものではない。やはり平生のごとく落ちついて、緩(ゆ)るりと探究するに若(し)くなしと決心を定めた。それでその晩は煩悶(はんもん)焦慮もせず、例の通り靜かに書斎に入って、せんだって中(じゅう)からの取調物を引き続いてやる事にした。
近頃余の調べている事項は遺伝と云う大問題である。元來余は醫者でもない、生物學者でもない。だから遺伝と云う問題に関して専門上の智識は無論有しておらぬ。有しておらぬところが余の好奇心を挑撥(ちょうはつ)する訳で、近頃ふとした事からこの問題に関してその起原発達の歴史やら最近の學説やらを一通り承知したいと云う希望を起して、それからこの研究を始めたのである。遺伝と一口に云うとすこぶる単純なようであるがだんだん調べて見ると複雑な問題で、これだけ研究していても充分生涯(しょうがい)の仕事はある。メンデリズムだの、ワイスマンの理論だの、ヘッケルの議論だの、その弟子のヘルトウィッヒの研究だの、スペンサーの進化心理説だのと色々の人が色々の事を云うている。そこで今夜は例のごとく書斎の裡(うち)で近頃出版になった英吉利(イギリス)のリードと云う人の著述を読むつもりで、二三枚だけは何気なくはぐってしまった。するとどう云う拍子(ひょうし)か、かの日記の中の事柄が、書物を読ませまいと頭の中へ割り込んでくる。そうはさせぬとまた一枚ほど開(あ)けると、今度は寂光院が襲って來る。ようやくそれを追払って五六枚無難に通過したかと思うと、御母(おっか)さんの切り下げの被布(ひふ)姿がページの上にあらわれる。読むつもりで決心して懸(かか)った仕事だから読めん事はない。読めん事はないがページとページの間に狂言が這入(はい)る。それでも構わずどしどし進んで行くと、この狂言と本文の間が次第次第に接近して來る。しまいにはどこからが狂言でどこまでが本文か分らないようにぼうっとして來た。この夢のようなありさまで五六分続けたと思ううち、たちまち頭の中に電流を通じた感じがしてはっと我に帰った。「そうだ、この問題は遺伝で解ける問題だ。遺伝で解けばきっと解ける」とは同時に吾口を突いて飛び出した言語である。今まではただ不思議である小説的である。何となく落ちつかない、何か疑惑を晴らす工夫はあるまいか、それには當人を捕えて聞き糺(ただ)すよりほかに方法はあるまいとのみ速斷して、その結果は朋友に冷かされたり、屑屋(くずや)流に駒込近傍を徘徊(はいかい)したのである。しかしこんな問題は當人の支配権以外に立つ問題だから、よし當人を尋ねあてて事実を明らかにしたところで不思議は解けるものでない。當人から聞き得る事実その物が不思議である以上は余の疑惑は落ちつきようがない。昔はこんな現象を因果(いんが)と稱(とな)えていた。因果は諦(あき)らめる者、泣く子と地頭には勝たれぬ者と相場がきまっていた。なるほど因果と言い放てば因果で済むかも知れない。しかし二十世紀の文明はこの因(いん)を極(きわ)めなければ承知しない。しかもこんな芝居的夢幻的現象の因を極めるのは遺伝によるよりほかにしようはなかろうと思う。本來ならあの女を捕(つら)まえて日記中の女と同人か別物かを明(あきらか)にした上で遺伝の研究を初めるのが順當であるが、本人の居所さえたしかならぬただいまでは、この順序を逆にして、彼らの血統から吟味して、下から上へ溯(さかのぼ)る代りに、昔から今に繰(く)りさげて來るよりほかに道はあるまい。いずれにしても同じ結果に帰著する訳だから構わない。
そんならどうして両人の血統を調べたものだろう。女の方は何者だか分らないから、先(ま)ず男の方から調べてかかる。浩さんは東京で生れたから東京っ子である。聞くところによれば浩さんの御父(おとっ)さんも江戸で生れて江戸で死んだそうだ。するとこれも江戸っ子である。御爺(おじい)さんも御爺さんの御父(おとっ)さんも江戸っ子である。すると浩さんの一家は代々東京で暮らしたようであるがその実町人でもなければ幕臣でもない。聞くところによると浩さんの家は紀州の藩士であったが江戸詰で代々こちらで暮らしたのだそうだ。紀州の家來と云う事だけ分ればそれで充分手懸(てがか)りはある。紀州の藩士は何百人あるか知らないが現今東京に出ている者はそんなに沢山あるはずがない。ことにあの女のように立派な服裝をしている身分なら藩主の家へ出入りをするにきまっている。藩主の家に出入するとすればその姓名はすぐに分る。これが余の仮定である。もしあの女が浩さんと同藩でないとするとこの事件は當分埓(らち)があかない。拋(ほう)って置いて自然天然寂光院に往來で邂逅(かいこう)するのを待つよりほかに仕方がない。しかし余の仮定が中(あた)るとすると、あとは大抵余の考え通りに発展して來るに相違ない。余の考によると何でも浩さんの先祖と、あの女の先祖の間に何事かあって、その因果でこんな現象を生じたに違いない。これが第二の仮定である。こうこしらえてくるとだんだん面白くなってくる。単に自分の好奇心を満足させるばかりではない。目下研究の學問に対してもっとも興味ある材料を給與する貢獻(こうけん)的事業になる。こう態度が変化すると、精神が急に爽快(そうかい)になる。今までは犬だか、探偵だかよほど下等なものに零落したような感じで、それがため脳中不愉快の度をだいぶ高めていたが、この仮定から出立すれば正々堂々たる者だ。學問上の研究の領分に屬すべき事柄である。少しも疚(や)ましい事はないと思い返した。どんな事でも思い返すと相當のジャスチフィケーションはある者だ。悪るかったと気がついたら黙坐して思い返すに限る。
あくる日學校で和歌山県出の同僚某に向って、君の國に老人で藩の歴史に詳しい人はいないかと尋ねたら、この同僚首をひねってあるさと云う。因(よ)ってその人物を承(うけたま)わると、もとは家老(かろう)だったが今では家令(かれい)と改名して依然として生きていると何だか妙な事を答える。家令ならなお都合がいい、平常(ふだん)藩邸に出入(しゅつにゅう)する人物の姓名職業は無論承知しているに違ない。
「その老人は色々昔の事を記憶しているだろうな」
「うん何でも知っている。維新の時なぞはだいぶ働いたそうだ。槍(やり)の名人でね」
槍などは下手(へた)でも構わん。昔(むか)し藩中に起った異聞奇譚(いぶんきだん)を、老耄(ろうもう)せずに覚えていてくれればいいのである。だまって聞いていると話が橫道へそれそうだ。
「まだ家令を務(つと)めているくらいなら記憶はたしかだろうな」
「たしか過ぎて困るね。屋敷のものがみんな弱っている。もう八十近いのだが、人間も隨分丈夫に製造する事が出來るもんだね。當人に聞くと全く槍術(そうじゅつ)の御蔭だと云ってる。それで毎朝起きるが早いか槍をしごくんだ……」
「槍はいいが、その老人に紹介して貰えまいか」
「いつでもして上げる」と云うと傍(そば)に聞いていた同僚が、君は白山の美人を探(さ)がしたり、記憶のいい爺さんを探したり、隨分多忙だねと笑った。こっちはそれどころではない。この老人に逢いさえすれば、自分の鑑定が中(あた)るか外(はず)れるか大抵の見當がつく。一刻も早く面會しなければならん。同僚から手紙で先方の都合を聞き合せてもらう事にする。
二三日(にさんち)は何の音沙汰(おとさた)もなく過ぎたが、御面會をするから明日(みょうにち)三時頃來て貰いたいと云う返事がようやくの事來たよと同僚が告げてくれた時は大(おおい)に嬉(うれ)しかった。その晩は勝手次第に色々と事件の発展を予想して見て、先(ま)ず七分までは思い通りの事実が暗中から白日の下(もと)に引き出されるだろうと考えた。そう考えるにつけて、余のこの事件に対する行動が――行動と云わんよりむしろ思いつきが、なかなか巧みである、無學なものならとうていこんな點に考えの及ぶ気遣(きづかい)はない、學問のあるものでも才気のない人にはこのような働きのある応用が出來る訳がないと、寢ながら大得意であった。ダーウィンが進化論を公けにした時も、ハミルトンがクォーターニオンを発明した時も大方(おおかた)こんなものだろうと獨(ひと)りでいい加減にきめて見る。自宅(うち)の渋柿は八百屋(やおや)から買った林檎(りんご)より旨(うま)いものだ。[1][2][3][4][5][6]
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