日本名家名篇-《報恩記》
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阿媽港甚內あまかわじんないの話
わたしは甚內じんないと云うものです。苗字みょうじは――さあ、世間ではずっと前から、阿媽港甚內あまかわじんないと云っているようです。阿媽港甚內、――あなたもこの名は知っていますか? いや、驚くには及びません。わたしはあなたの知っている通り、評判の高い盜人ぬすびとです。しかし今夜參ったのは、盜みにはいったのではありません。どうかそれだけは安心して下さい。
あなたは日本にほんにいる伴天連ばてれんの中でも、道徳の高い人だと聞いています。して見れば盜人と名のついたものと、しばらくでも一しょにいると云う事は、愉快ではないかも知れません。が、わたしも思いのほか、盜みばかりしてもいないのです。いつぞや聚楽じゅらくの御殿ごてんへ召された呂宋助左衛門るそんすけざえもんの手代てだいの一人も、確か甚內と名乗っていました。また利休居士りきゅうこじの珍重ちんちょうしていた「赤がしら」と稱える水さしも、それを贈った連歌師れんがしの本名ほんみょうは、甚內じんないとか云ったと聞いています。そう云えばつい二三年以前、阿媽港日記あまかわにっきと云う本を書いた、大村おおむらあたりの通辭つうじの名前も、甚內と云うのではなかったでしょうか? そのほか三條河原さんじょうがわらの喧嘩に、甲比丹カピタン「まるどなど」を救った虛無僧こむそう、堺さかいの妙國寺みょうこくじ門前に、南蠻なんばんの薬を売っていた商人、……そう云うものも名前を明かせば、何がし甚內だったのに違いありません。いや、それよりも大事なのは、去年この「さん?ふらんしすこ」の御寺みてらへ、おん母「まりや」の爪を収めた、黃金おうごんの舎利塔しゃりとうを獻じているのも、やはり甚內と云う信徒だった筈です。
しかし今夜は殘念ながら、一々そう云う行狀を話している暇はありません。ただどうか阿媽港甚內あまかわじんないは、世間一般の人間と余り変りのない事を信じて下さい。そうですか? では出來るだけ手短かに、わたしの用向きを述べる事にしましょう。わたしはある男の魂のために、「みさ」の御祈りを願いに來たのです。いや、わたしの血縁のものではありません。と云ってもまたわたしの刃金はがねに、血を塗ったものでもないのです。名前ですか? 名前は、――さあ、それは明かして好いいかどうか、わたしにも判斷はつきません。ある男の魂のために、――あるいは「ぽうろ」と云う日本人のために、冥福めいふくを祈ってやりたいのです。いけませんか?――なるほど阿媽港甚內に、こう云う事を頼まれたのでは、手軽に受合う気にもなれますまい。ではとにかく一通り、事情だけは話して見る事にしましょう。しかしそれには生死を問わず、他言たごんしない約束が必要です。あなたはその胸の十字架くるすに懸けても、きっと約束を守りますか? いや、――失禮は赦ゆるして下さい。(微笑)伴天連ばてれんのあなたを疑うのは、盜人ぬすびとのわたしには僭上せんじょうでしょう。しかしこの約束を守らなければ、(突然真面目まじめに)「いんへるの」の猛火に焼かれずとも、現世げんぜに罰ばちが下くだる筈です。
もう二年あまり以前の話ですが、ちょうどある凩こがらしの真夜中です。わたしは雲水うんすいに姿を変えながら、京の町中まちなかをうろついていました。京の町中をうろついたのは、その夜よに始まったのではありません。もうかれこれ五日ばかり、いつも初更しょこうを過ぎさえすれば、必ず人目に立たないように、そっと家々を窺うかがったのです。勿論何のためだったかは、註を入れるにも及びますまい。殊にその頃は摩利伽まりかへでも、一時渡っているつもりでしたから、余計に金かねの入用もあったのです。
町は勿論とうの昔に人通りを絶っていましたが、星ばかりきらめいた空中には、小おやみもない風の音がどよめいています。わたしは暗い軒通のきづたいに、小川通おがわどおりを下くだって來ると、ふと辻を一つ曲まがった所に、大きい角屋敷かどやしきのあるのを見つけました。これは京でも名を知られた、北條屋彌三右衛門ほうじょうややそうえもんの本宅です。同じ渡海とかいを渡世にしていても、北條屋は到底とうてい角倉かどくらなどと肩を並べる事は出來ますまい。しかしとにかく沙室しゃむろや呂宋るそんへ、船の一二艘そうも出しているのですから、一かどの分限者ぶげんしゃには違いありません。わたしは何もこの家うちを目當に、うろついていたのではないのですが、ちょうどそこへ來合わせたのを幸い、一稼ひとかせぎする気を起しました。その上前にも云った通り、夜よは深いし風も出ている、――わたしの商売にとりかかるのには、萬事持って來いの寸法すんぽうです。わたしは路ばたの天水桶てんすいおけの後うしろに、網代あじろの笠や杖を隠した上、たちまち高塀を乗り越えました。
世間の噂うわさを聞いて御覧なさい。阿媽港甚內あまかわじんないは、忍術を使う、――誰でも皆そう云っています。しかしあなたは俗人のように、そんな事は本當と思いますまい。わたしは忍術も使わなければ、悪魔も味方にはしていないのです。ただ阿媽港あまかわにいた時分、葡萄牙ポルトガルの船の醫者に、究理の學問を教わりました。それを実地に役立てさえすれば、大きい錠前を※(「てへん+丑」、第4水準2-12-93)ねじ切ったり、重い閂かんぬきを外したりするのは、格別むずかしい事ではありません。(微笑)今までにない盜みの仕方、――それも日本にっぽんと云う未開の土地は、十字架や鉄砲の渡來と同様、やはり西洋に教わったのです。
わたしは一ときとたたない內に、北條屋の家うちの中にはいっていました。が、暗い廊下ろうかをつき當ると、驚いた事にはこの夜更よふけにも、まだ火影ほかげのさしているばかりか、話し聲のする小座敷があります。それがあたりの容子ようすでは、どうしても茶室に違いありません。「凩こがらしの茶か」――わたしはそう苦笑くしょうしながら、そっとそこへ忍び寄りました。実際その時は人聲のするのに、仕事の邪魔じゃまを思うよりも、數寄すきを凝らした囲いの中に、この家やの主人や客に來た仲間が、どんな風流を楽しんでいるか?――そんな事に心が惹ひかれたのです。
襖ふすまの外に身を寄せるが早いか、わたしの耳には思った通り、釜かまのたぎりがはいりました。が、その音がすると同時に、意外にも誰か話をしては、泣いている聲が聞えるのです。誰か、――と云うよりもそれは二度と聞かずに、女だと云う事さえわかりました。こう云う大家たいけの茶座敷に、真夜中女の泣いていると云うのは、どうせただ事ではありません。わたしは息をひそめたまま、幸い明いていた襖ふすまの隙すきから、茶室の中を覗のぞきこみました。
行燈あんどんの光に照された、古色紙こしきしらしい床とこの懸け物、懸け花入はないれの霜菊しもぎくの花。――囲かこいの中には御約束通り、物寂びた趣が漂っていました。その床の前、――ちょうどわたしの真正面ましょうめんに坐った老人は、主人の彌三右衛門やそうえもんでしょう、何か細こまかい唐草からくさの羽織に、じっと両腕を組んだまま、ほとんどよそ眼に見たのでは、釜の煮にえ音でも聞いているようです。彌三右衛門の下座しもざには、品ひんの好いい笄髷こうがいまげの老女が一人、これは橫顔を見せたまま、時々涙を拭っていました。
「いくら不自由がないようでも、やはり苦労だけはあると見える。」――わたしはそう思いながら、自然と微笑を洩もらしたものです。微笑を、――こう云ってもそれは北條屋ほうじょうや夫婦に、悪意があったのではありません。わたしのように四十年間、悪名あくみょうばかり負っているものには、他人の、――殊に幸福らしい他人の不幸は、自然と微笑を浮ばせるのです。(殘酷な表情)その時もわたしは夫婦の歎きが、歌舞伎かぶきを見るように愉快だったのです。(皮肉な微笑)しかしこれはわたし一人に、限った事ではありますまい。誰にも好まれる草紙そうしと云えば、悲しい話にきまっているようです。
彌三右衛門はしばらくの後のち、吐息といきをするようにこう云いました。
「もうこの羽目はめになった上は、泣いても喚わめいても取返しはつかない。わたしは明日あすにも店のものに、暇ひまをやる事に決心をした。」
その時また烈しい風が、どっと茶室を揺ゆすぶりました。それに聲が紛まぎれたのでしょう。彌三右衛門の內儀ないぎの言葉は、何と云ったのだかわかりません。が、主人は頷うなずきながら、両手を膝の上に組み合せると、網代あじろの天井へ眼を上げました。太い眉まゆ、尖った頬骨ほおぼね、殊に切れの長い目尻、――これは確かに見れば見るほど、いつか一度は會っている顔です。
「おん主あるじ、『えす?きりすと』様。何とぞ我々夫婦の心に、あなた様の御力を御恵み下さい。……」
彌三右衛門は眼を閉じたまま、御祈りの言葉を呟つぶやき始めました。老女もやはり夫のように天帝の加護を乞うているようです。わたしはその間あいだ瞬きもせず、彌三右衛門の顔を見続けました。するとまた凩こがらしの渡った時、わたしの心に閃ひらめいたのは、二十年以前の記憶です。わたしはこの記憶の中に、はっきり彌三右衛門の姿を捉とらえました。
その二十年以前の記憶と云うのは、――いや、それは話すには及びますまい。ただ手短に事実だけ云えば、わたしは阿媽港あまかわに渡っていた時、ある日本にほんの船頭に危あやうい命を助けて貰いました。その時は互に名乗りもせず、それなり別れてしまいましたが、今わたしの見た彌三右衛門は、當年の船頭に違いないのです。わたしは奇遇きぐうに驚きながら、やはりこの老人の顔を見守っていました。そう云えば威いかつい肩のあたりや、指節ゆびふしの太い手の恰好かっこうには、未いまだに珊瑚礁さんごしょうの潮しおけむりや、白檀山びゃくだんやまの匂いがしみているようです。
彌三右衛門は長い御祈りを終ると、靜かに老女へこう云いました。
「跡はただ何事も、天主てんしゅの御意ぎょい次第と思うたが好よい。――では釜のたぎっているのを幸い、茶でも一つ立てて貰おうか?」
しかし老女は今更のように、こみ上げる涙を堪こらえるように、消え入りそうな返事をしました。
「はい。――それでもまだ悔くやしいのは、――」
「さあ、それが愚癡ぐちと云うものじゃ。北條丸ほうじょうまるの沈んだのも、拋なげ銀ぎんの皆倒れたのも、――」
「いえ、そんな事ではございません。せめては倅せがれの彌三郎やさぶろうでも、いてくれればと思うのでございますが、……」
わたしはこの話を聞いている內に、もう一度微笑が浮んで來ました。が、今度は北條屋ほうじょうやの不運に、愉快を感じたのではありません。「昔の恩を返す時が來た」――そう思う事が嬉しかったのです。わたしにも、御尋ね者の阿媽港甚內あまかわじんないにも、立派りっぱに恩返しが出來る愉快さは、――いや、この愉快さを知るものは、わたしのほかにはありますまい。(皮肉に)世間の善人は可哀そうです。何一つ悪事を働かない代りに、どのくらい善行を施ほどこした時には、嬉しい心もちになるものか、――そんな事も碌ろくには知らないのですから。
「何、ああ云う人でなしは、居らぬだけにまだしも仕合せなぐらいじゃ。……」
彌三右衛門は苦々にがにがしそうに、行燈あんどんへ眼を外そらせました。
「あいつが使いおった金でもあれば、今度も急場だけは凌しのげたかも知れぬ。それを思えば勘當かんどうしたのは、………」
彌三右衛門はこう云ったなり、驚いたようにわたしを眺めました。これは驚いたのも無理はありません。わたしはその時聲もかけずに、堺さかいの襖ふすまを明けたのですから。――しかもわたしの身なりと云えば、雲水うんすいに姿をやつした上、網代あじろの笠を脫いだ代りに、南蠻頭巾なんばんずきんをかぶっていたのですから。
「誰だ、おぬしは?」
彌三右衛門は年はとっていても、咄嗟とっさに膝を起しました。
「いや、御驚きになるには及びません。わたしは阿媽港甚內と云うものです。――まあ、御靜かになすって下さい。阿媽港甚內は盜人ぬすびとですが、今夜突然參上したのは、少しほかにも訣わけがあるのです。――」
わたしは頭巾ずきんを脫ぎながら、彌三右衛門の前に坐りました。
その後のちの事は話さずとも、あなたには推察出來るでしょう。わたしは北條屋ほうじょうやの危急ききゅうを救うために、三日と云う日限にちげんを一日も違えず、六千貫の金かねを調達する、恩返しの約束を結んだのです。――おや、誰か戸の外に、足音が聞えるではありませんか? では今夜は御免下さい。いずれ明日あすか明後日あさっての夜よる、もう一度ここへ忍しのんで來ます。あの大十字架おおくるすの星の光は阿媽港あまかわの空には輝いていても、日本にっぽんの空には見られません。わたしもちょうどああ云うように日本では姿を晦くらませていないと、今夜「みさ」を願いに來た、「ぽうろ」の魂のためにもすまないのです。
何、わたしの逃げ途みちですか? そんな事は心配に及びません。この高い天窓てんまどからでも、あの大きい暖爐だんろからでも、自由自在に出て行かれます。ついてはどうか呉々くれぐれも、恩人「ぽうろ」の魂のために、一切他言たごんは慎つつしんで下さい。
北條屋彌三右衛門の話
伴天連ばてれん様。どうかわたしの懺悔ざんげを御聞き下さい。御承知でも御座いましょうが、この頃世上に噂の高い、阿媽港甚內あまかわじんないと云う盜人ぬすびとがございます。根來寺ねごろでらの塔に住んでいたのも、殺生関白せっしょうかんぱくの太刀たちを盜んだのも、また遠い海の外そとでは、呂宋るそんの太守を襲ったのも、皆あの男だとか聞き及びました。それがとうとう搦からめとられた上、今度一條戻もどり橋ばしのほとりに、曝さらし首くびになったと云う事も、あるいは御耳にはいって居りましょう。わたしはあの阿媽港甚內に一方ひとかたならぬ大恩を蒙こうむりました。が、また大恩を蒙っただけに、ただ今では何とも申しようのない、悲しい目にも遇あったのでございます。どうかその仔細しさいを御聞きの上、罪びと北條屋彌三右衛門ほうじょうややそうえもんにも、天帝の御愛憐を御祈り下さい。
ちょうど今から二年ばかり以前の、冬の事でございます。ずっとしけばかり続いたために、持ち船の北條丸ほうじょうまるは沈みますし、拋なげ銀は皆倒れますし、――それやこれやの重なった揚句あげく、北條屋一家は分散のほかに、仕方のない羽目はめになってしまいました。御承知の通り町人には取引き先はございましても、友だちと申すものはございません。こうなればもう我々の家業は、うず潮に吸われた大船おおぶねも同様、まっ逆さかさまに奈落ならくの底へ、落ちこむばかりなのでございます。するとある夜、――今でもこの夜よの事は忘れません。ある凩こがらしの烈しい夜よるでございましたが、わたし共夫婦は御存知の囲かこいに、夜の更ふけるのも知らず話して居りました。そこへ突然はいって參ったのは、雲水うんすいの姿に南蠻頭巾なんばんずきんをかぶった、あの阿媽港甚內あまかわじんないでございます。わたしは勿論驚きもすれば、また怒いかりも致しました。が、甚內の話を聞いて見ますと、あの男はやはり盜みを働きに、わたしの宅へ忍びこみましたが、茶室には未いまだに火影ほかげばかりか、人の話し聲が聞えている、そこで襖越ふすまごしに、覗のぞいて見ると、この北條屋彌三右衛門は、甚內の命を助けた事のある、二十年以前の恩人だったと、こう云う次第ではございませんか?
なるほどそう云われて見れば、かれこれ二十年にもなりましょうか、まだわたしが阿媽港あまかわ通いの「ふすた」船の船頭を致していた頃、あそこへ船がかりをしている內に、髭ひげさえ碌ろくにない日本人を一人、助けてやった事がございます。何でもその時の話では、ふとした酒の上の喧嘩けんかから、唐人とうじんを一人殺したために、追手おってがかかったとか申して居りました。して見ればそれが今日こんにちでは、あの阿媽港甚內と云う、名代なだいの盜人ぬすびとになったのでございましょう。わたしはとにかく甚內の言葉も噓ではない事がわかりましたから、一家のものの寢ているのを幸い、まずその用向きを尋ねて見ました。
すると甚內の申しますには、あの男の力に及ぶ事なら、二十年以前の恩返しに、北條屋の危急を救ってやりたい、差當さしあたり入用いりようの金子きんすの高は、どのくらいだと尋ねるのでございます。わたしは思わず苦笑くしょう致しました。盜人に金を調達して貰う、――それが可笑おかしいばかりではございません。いかに阿媽港甚內でも、そう云う金があるくらいならば、何もわざわざわたしの宅へ、盜みにはいるにも當りますまい。しかしその金高きんだかを申しますと、甚內は小首こくびを傾けながら、今夜の內にはむずかしいが、三日も待てば調達しようと、無造作むぞうさに引き受けたのでございます。が、何しろ入用なのは、六千貫と云う大金でございますから、きっと調達出來るかどうか、當あてになるものではございません。いや、わたしの量見りょうけんでは、まず賽さいの目をたのむよりも、覚束おぼつかないと覚悟をきめていました。
甚內はその夜よわたしの家內に、悠々と茶なぞ立てさせた上、凩こがらしの中を帰って行きました。が、その翌日になって見ても、約束の金は屆きません。二日目も同様でございました。三日目は、――この日は雪になりましたが、やはり夜よに入ってしまった後のちも、何一つ便りはありません。わたしは前に甚內の約束は、當にして居らぬと申し上げました。が、店のものにも暇ひまを出さず、成行きに任まかせていた所を見ると、それでも幾分か心待ちには、待っていたのでございましょう。また実際三日目の夜よには、囲いの行燈あんどんに向っていても、雪折れの音のする度毎に、聞き耳ばかり立てて居りました。
所が三更さんこうも過ぎた時分、突然茶室の外そとの庭に、何か人の組み合うらしい物音が聞えるではございませんか? わたしの心に閃ひらめいたのは、勿論もちろん甚內の身の上でございます。もしや捕とり手てでもかかったのではないか?――わたしは咄嗟とっさにこう思いましたから、庭に向いた障子しょうじを明けるが早いか、行燈あんどんの火を掲かかげて見ました。雪の深い茶室の前には、大明竹だいみんちくの垂れ伏したあたりに、誰か二人摑つかみ合っている――と思うとその一人は、飛びかかる相手を突き放したなり、庭木の陰かげをくぐるように、たちまち塀の方へ逃げ出しました。雪のはだれる音、塀に攀よじ登る音、――それぎりひっそりしてしまったのは、もうどこか塀へいの外へ、無事に落ち延びたのでございましょう。が、突き放された相手の一人は、格別跡を追おうともせず、體の雪を払いながら、靜かにわたしの前へ歩み寄りました。
「わたしです。阿媽港甚內あまかわじんないですよ。」
わたしは呆気あっけにとられたまま、甚內の姿を見守りました。甚內は今夜も南蠻頭巾なんばんずきんに、袈裟法衣けさころもを著ているのでございます。
「いや、とんだ騒さわぎをしました。誰もあの組打ちの音に、眼を覚さねば仕合せですが。」
甚內は囲かこいへはいると同時に、ちらりと苦笑くしょうを洩もらしました。
「何、わたしが忍しのんで來ると、ちょうど誰かこの床ゆかの下へ、這はいこもうとするものがあるのです。そこで一つ手捕てどりにした上、顔を見てやろうと思ったのですが、とうとう逃げられてしまいました。」
わたしはまださっきの通り、捕り手の心配がございましたから、役人ではないかと尋たずねて見ました。が、甚內は役人どころか、盜人だと申すのでございます。盜人が盜人を捉とらえようとした、――このくらい珍しい事はございますまい。今度は甚內よりもわたしの顔に、自然と苦笑が浮びました。しかしそれはともかくも、調達の成否せいひを聞かない內は、わたしの心も安まりません。すると甚內は云わない先に、わたしの心を読んだのでございましょう、悠々と胴巻どうまきをほどきながら、爐ろの前へ金包かねづつみを並べました。
「御安心なさい、六千貫の工面くめんはつきましたから。――実はもう昨日きのうの內に、大抵たいてい調達したのですが、まだ二百貫ほど不足でしたから、今夜はそれを持って來ました。どうかこの包みを受け取って下さい。また昨日きのうまでに集めた金は、あなた方御夫婦も知らない內に、この茶室の床下ゆかしたへ隠して置きました。大方おおかた今夜の盜人のやつも、その金を嗅かぎつけて來たのでしょう。」
わたしは夢でも見ているように、そう云う言葉を聞いていました。盜人に金を施ほどこして貰う、――それはあなたに伺わないでも、確かに善い事ではございますまい。しかし調達が出來るかどうか、半信半疑の境さかいにいた時は、善悪も考えずに居りましたし、また今となって見れば、むげに受け取らぬとも申されません。しかもその金を受け取らないとなれば、わたしばかりか一家のものも、路頭ろとうに迷うのでございます。どうかこの心もちに、せめては御憐憫ごれんびんを御加え下さい。わたしはいつか甚內の前に、恭うやうやしく両手をついたまま、何も申さずに泣いて居りました。……
その後のちわたしは二年の間あいだ、甚內の噂うわさを聞かずに居りました。が、とうとう分散もせずに恙つつがないその日を送られるのは、皆甚內の御蔭でございますから、いつでもあの男の仕合せのために、人知れずおん母「まりや」様へも、祈願きがんをこめていたのでございます。ところがどうでございましょう、この頃往來おうらいの話を聞けば、阿媽港甚內あまかわじんないは御召捕おめしとりの上、戻もどり橋ばしに首を曝さらしていると、こう申すではございませんか? わたくしは驚きも致しました。人知れず涙も落しました。しかし積悪の報むくいと思えば、これも致し方はございますまい。いや、むしろこの永年、天罰も受けずに居りましたのは、不思議だったくらいでございます。が、せめてもの恩返しに、陰かげながら回向えこうをしてやりたい。――こう思ったものでございますから、わたしは今日きょう伴とももつれずに、早速一條戻り橋へ、その曝し首を見に參りました。
戻り橋のほとりへ參りますと、もうその首を曝した前には、大勢おおぜい人がたかって居ります。罪狀を記しるした白木しらきの札ふだ、首の番をする下役人したやくにん――それはいつもと変りません。が、三本組み合せた、青竹の上に載せてある首は、――ああ、そのむごたらしい血まみれの首は、どうしたと云うのでございましょう? わたしは騒々そうぞうしい人だかりの中に、蒼あおざめた首を見るが早いか、思わず立ちすくんでしまいました。この首はあの男ではございません。阿媽港甚內の首ではございません。この太い眉まゆ、この突き出た頬ほお、この眉間みけんの刀創かたなきず、――何一つ甚內には似て居りません。しかし、――わたしは突然日の光も、わたしのまわりの人だかりも、竹の上に載せた曝さらし首も、皆どこか遠い世界へ、流れてしまったかと思うくらい、烈しい驚きに襲われました。この首は甚內ではございません。わたしの首でございます。二十年以前のわたし、――ちょうど甚內の命を助けた、その頃のわたしでございます。「彌三郎やさぶろう!」――わたしは舌さえ動かせたなら、こう叫んでいたかも知れません。が、聲を揚げるどころかわたしの體は瘧おこりを病んだように、震ふるえているばかりでございました。
彌三郎! わたしはただ幻のように、倅せがれの曝し首を眺めました。首はやや仰向あおむいたまま半ば開ひらいた※(「目+匡」、第3水準1-88-81)まぶたの下から、じっとわたしを見守って居ります。これはどうした訣わけでございましょう? 倅は何かの間違いから、甚內と思われたのでございましょうか? しかし御吟味ごぎんみも受けたとすれば、そう云う間違いは起りますまい。それとも阿媽港甚內というのは、倅だったのでございましょうか? わたしの宅へ來た贋雲水にせうんすいは、誰か甚內の名前を仮りた、別人だったのでございましょうか? いや、そんな筈はございません。三日と云う日限にちげんを一日も違たがえず、六千貫の金を工面くめんするものは、この広い日本の國にも、甚內のほかに誰が居りましょう? して見ると、――その時わたしの心の中には、二年以前雪の降った夜よ、甚內と庭に爭っていた、誰とも知らぬ男の姿が、急にはっきり浮んで參りました。あの男は誰だったのでございましょう? もしや倅ではございますまいか? そう云えばあの男の姿かたちは、ちらりと一目見ただけでも、どうやら倅の彌三郎に、似ていたようでもございます。しかしこれはわたし一人の、心の迷いでございましょうか? もし倅だったとすれば、――わたしは夢の覚めたように、しけじけ首を眺めました。するとその紫ばんだ、妙に緊しまりのない唇くちびるには、何か微笑ほほえみに近い物が、ほんのり殘っているのでございます。
曝さらし首に微笑が殘っている、――あなたはそんな事を御聞きになると、御哂おわらいになるかも知れません。わたしさえそれに気のついた時には、眼のせいかとも思いました。が、何度見直しても、その干ひからびた唇には、確かに微笑らしい明あかるみが、漂ただよっているのでございます。わたしはこの不思議な微笑に、永い間あいだ見入って居りました。と、いつかわたしの顔にも、やはり微笑が浮んで參りました。しかし微笑が浮ぶと同時に、眼には自然と熱い涙も、にじみ出して來たのでございます。
「お父とうさん、勘忍かんにんして下さい。――」
その微笑は無言の內に、こう申していたのでございます。
「お父さん。不孝の罪は勘忍して下さい。わたしは二年以前の雪の夜よる、勘當かんどうの御詫おわびがしたいばかりに、そっと家うちへ忍しのんで行きました。晝間は店のものに見られるのさえ、恥はずかしいなりをしていましたから、わざわざ夜よの更ふけるのを待った上、お父さんの寢間ねまの戸を叩たたいても、御眼にかかるつもりでいたのです。ところがふと囲かこいの障子に、火影ほかげのさしているのを幸い、そこへ怯おず怯おず行きかけると、いきなり誰か後うしろから、言葉もかけずに組つきました。
「お父さん。それから先はどうなったか、あなたの知っている通りです。わたしは余り不意だったため、お父さんの姿を見るが早いか、相手の曲者くせものを突き放したなり、高塀たかべいの外へ逃げてしまいました。が、雪明ゆきあかりに見た相手の姿は、不思議にも雲水うんすいのようでしたから、誰も追う者のないのを確かめた後のち、もう一度あの茶室の外へ、大膽だいたんにも忍んで行ったのです。わたしは囲いの障子越しに、一切いっさいの話を立ち聞きました。
「お父さん。北條屋ほうじょうやを救った甚內じんないは、わたしたち一家の恩人です。わたしは甚內の身に危急ききゅうがあれば、たとえ命は拋なげうっても、恩に報いたいと決心しました。またこの恩を返す事は、勘當を受けた浮浪人ふろうにんのわたしでなければ出來ますまい。わたしはこの二年間、そう云う機會を待っていました。そうして、――その機會が來たのです。どうか不孝の罪は勘忍して下さい。わたしは極道ごくどうに生れましたが、一家の大恩だけは返しました。それがせめてもの心やりです。……」
わたしは宅へ帰る途中も、同時に泣いたり笑ったりしながら、倅せがれのけなげさを褒ほめてやりました。あなたは御存知になりますまいが、倅の彌三郎やさぶろうもわたしと同様、御宗門ごしゅうもんに帰依きえして居りましたから、もとは「ぽうろ」と云う名前さえも、頂いて居ったものでございます。しかし、――しかし倅も不運なやつでございました。いや、倅ばかりではございません。わたしもあの阿媽港甚內あまかわじんないに一家の沒落さえ救われなければ、こんな嘆きは致しますまいに。いくら未練みれんだと思いましても、こればかりは切せつのうございます。分散せずにいた方が好よいか、倅を殺さずに置いた方が好いか、――(突然苦しそうに)どうかわたしを御救い下さい。わたしはこのまま生きていれば、大恩人の甚內を憎むようになるかも知れません。………(永い間あいだの歔欷すすりなき)
「ぽうろ」彌三郎の話
ああ、おん母「まりや」様! わたしは夜よが明け次第、首を打たれる事になっています。わたしの首は地に落ちても、わたしの魂たましいは小鳥のように、あなたの御側へ飛んで行くでしょう。いや、悪事ばかり働いたわたしは、「はらいそ」(天國)の荘厳しょうごんを拝する代りに、恐しい「いんへるの」(地獄)の猛火の底へ、逆落さかおとしになるかも知れません。しかしわたしは満足です。わたしの心には二十年來、このくらい嬉しい心もちは、宿った事がないのです。
わたしは北條屋彌三郎ほうじょうややさぶろうです。が、わたしの曝さらし首くびは、阿媽港甚內あまかわじんないと呼ばれるでしょう。わたしがあの阿媽港甚內、――これほど愉快ゆかいな事があるでしょうか? 阿媽港甚內、――どうです? 好いい名前ではありませんか? わたしはその名前を口にするだけでも、この暗い牢ろうの中さえ、天上の薔薇ばらや百合ゆりの花に、満ち渡るような心もちがします。
忘れもしない二年前ぜんの冬、ちょうどある大雪の夜よるです。わたしは博奕ばくちの元手もとでが欲しさに、父の本宅へ忍びこみました。ところがまだ囲いの障子しょうじに、火影ほかげがさしていましたから、そっとそこを窺うかがおうとすると、いきなり誰か言葉もかけず、わたしの襟上えりがみを捉とらえたものがあります。振り払う、また摑つかみかかる、――相手は誰だか知らないのですが、その力の逞たくましい事は、到底ただものとは思われません。のみならず二三度揉もみ合う內に、茶室の障子が明あいたと思うと、庭へ行燈あんどんをさし出したのは、紛まぎれもない父の彌三右衛門やそうえもんです。わたしは一生懸命に、摑つかまれた胸倉むなぐらを振り切りながら、高塀の外へ逃げ出しました。
しかし半町はんちょうほど逃げ延びると、わたしはある軒下のきしたに隠れながら、往來の前後を見廻しました。往來には夜目にも白々しろじろと、時々雪煙りが揚あがるほかには、どこにも動いているものは見えません。相手は諦あきらめてしまったのか、もう追いかけても來ないようです。が、あの男は何ものでしょう? 咄嗟とっさの間あいだに見た所では、確かに僧形そうぎょうをしていました。が、さっきの腕の強さを見れば、――殊に兵法にも精くわしいのを見れば、世の常の坊主ではありますまい。第一こう云う大雪の夜よに、庭先へ誰か坊主ぼうずが來ている、――それが不思議ではありませんか? わたしはしばらく思案した後のち、たとい危あぶない蕓當にしても、とにかくもう一度茶室の外へ、忍び寄る事に決心しました。
それから一時いっときばかりたった頃ころです。あの怪しい行腳あんぎゃの坊主ぼうずは、ちょうど雪の止んだのを幸い、小川通おがわどおりを下くだって行きました。これが阿媽港甚內あまかわじんないなのです。侍さむらい、連歌師れんがし、町人、虛無僧こむそう、――何にでも姿を変えると云う、洛中らくちゅうに名高い盜人ぬすびとなのです。わたしは後あとから見え隠れに甚內の跡をつけて行きました。その時ほど妙に嬉しかった事は、一度もなかったのに違いありません。阿媽港甚內! 阿媽港甚內! わたしはどのくらい夢の中うちにも、あの男の姿を慕っていたでしょう。殺生関白せっしょうかんぱくの太刀たちを盜んだのも甚內です。沙室屋しゃむろやの珊瑚樹さんごじゅを詐かたったのも甚內です。備前宰相びぜんさいしょうの伽羅きゃらを切ったのも、甲比丹カピタン「ぺれいら」の時計を奪ったのも、一夜いちやに五つの土蔵を破ったのも、八人の參河侍みかわざむらいを斬り倒したのも、――そのほか末代にも伝わるような、稀有けうの悪事を働いたのは、いつでも阿媽港甚內あまかわじんないです。その甚內は今わたしの前に、網代あじろの笠を傾けながら、薄明るい雪路を歩いている。――こう云う姿を眺められるのは、それだけでも仕合せではありませんか? が、わたしはこの上にも、もっと仕合せになりたかったのです。
わたしは浄厳寺じょうごんじの裏へ來ると、一散いっさんに甚內へ追いつきました。ここはずっと町家ちょうかのない土塀どべい続きになっていますから、たとい晝でも人目を避けるには、一番御誂おあつらえの場所なのですが、甚內はわたしを見ても、格別驚いた気色けしきは見せず、靜かにそこへ足を止めました。しかも杖つえをついたなり、わたしの言葉を待つように、一言ひとことも口を利きかないのです。わたしは実際恐る恐る、甚內の前に手をつきました。しかしその落著いた顔を見ると、思うように聲さえ出て來ません。
「どうか失禮は御免下さい。わたしは北條屋彌三右衛門ほうじょうややそうえもんの倅せがれ彌三郎やさぶろうと申すものです。――」
わたしは顔を火照ほてらせながら、やっとこう口を切りました。
「実は少し御願いがあって、あなたの跡を慕したって來たのですが、……」
甚內はただ頷うなずきました。それだけでも気の小さいわたしには、どのくらい難有ありがたい気がしたでしょう。わたしは勇気も出て來ましたから、やはり雪の中に手をついたなり、父の勘當かんどうを受けている事、今はあぶれものの仲間にはいっている事、今夜父の家うちへ盜みにはいった所が、計はからず甚內にめぐり合った事、なおまた父と甚內との密談も一つ殘らず聞いた事、――そんな事を手短てみじかに話しました。が、甚內は不相変あいかわらず、黙然もくねんと口を噤つぐんだまま、冷やかにわたしを見ているのです。わたしはその話をしてしまうと、一層膝を進ませながら、甚內の顔を覗のぞきこみました。
「北條一家ほうじょういっかの蒙こうむった恩は、わたしにもまたかかっています。わたしはその恩を忘れないしるしに、あなたの手下てしたになる決心をしました。どうかわたしを使って下さい。わたしは盜みも知っています。火をつける術すべも知っています。そのほか一通りの悪事だけは、人に劣おとらず知っています。――」
しかし甚內は黙っています。わたしは胸を躍らせながら、いよいよ熱心に説き立てました。
「どうかわたしを使って下さい。わたしは必ず働きます。京、伏見ふしみ、堺さかい、大阪、――わたしの知らない土地はありません。わたしは一日に十五里歩きます。力も四斗俵しとびょうは片手に挙あがります。人も二三人は殺して見ました。どうかわたしを使って下さい。わたしはあなたのためならば、どんな仕事でもして見せます。伏見の城の白孔雀しろくじゃくも、盜めと云えば、盜んで來ます。『さん?ふらんしすこ』の寺の鐘樓しゅろうも、焼けと云えば焼いて來ます。右大臣家うだいじんけの姫君も、拐かどわかせと云えば拐して來ます。奉行の首も取れと云えば、――」
わたしはこう云いかけた時、いきなり雪の中へ蹴倒けたおされました。
「莫迦ばかめ!」
甚內じんないは一聲叱ったまま、元の通り歩いて行きそうにします。わたしはほとんど気違いのように法衣ころもの裾すそへ縋すがりつきました。
「どうかわたしを使って下さい。わたしはどんな場合にも、きっとあなたを離れません。あなたのためには水火にも入ります。あの『えそぽ』の話の獅子王ししおうさえ、鼠ねずみに救われるではありませんか? わたしはその鼠になります。わたしは、――」
「黙れ。甚內は貴様なぞの恩は受けぬ。」
甚內はわたしを振り放すと、もう一度そこへ蹴倒しました。
「白癩びゃくらいめが! 親孝行でもしろ!」
わたしは二度目に蹴倒された時、急に口惜くやしさがこみ上げて來ました。
「よし! きっと恩になるな!」
しかし甚內は見返りもせず、さっさと雪路ゆきみちを急いで行きます。いつかさし始めた月の光に網代あじろの笠かさを仄ほのめかせながら、……それぎりわたしは二年の間あいだ、ずっと甚內を見ずにいるのです。(突然笑う)「甚內は貴様なぞの恩は受けぬ」……あの男はこう云いました。しかしわたしは夜よの明け次第、甚內の代りに殺されるのです。
ああ、おん母「まりや様!」わたしはこの二年間、甚內の恩を返したさに、どのくらい苦しんだか知れません。恩を返したさに?――いや、恩と云うよりも、むしろ恨うらみを返したさにです。しかし甚內はどこにいるか? 甚內は何をしているか?――誰にそれがわかりましょう? 第一甚內はどんな男か?――それさえ知っているものはありません。わたしが遇あった贋雲水にせうんすいは四十前後の小男です。が、柳町やなぎまちの廓くるわにいたのは、まだ三十を越えていない、赧あから顔に鬚ひげの生えた、浪人だと云うではありませんか? 歌舞伎かぶきの小屋を擾さわがしたと云う、腰の曲った紅毛人こうもうじん、妙國寺みょうこくじの財寶ざいほうを掠かすめたと云う、前髪の垂れた若侍、――そう云うのを皆甚內とすれば、あの男の正體しょうたいを見分ける事さえ、到底とうてい人力には及ばない筈です。そこへわたしは去年の末から、吐血とけつの病に罹かかってしまいました。
どうか恨うらみを返してやりたい、――わたしは日毎に痩やせ細りながら、その事ばかりを考えていました。するとある夜わたしの心に、突然閃ひらめいた一策があります。「まりや」様! 「まりや」様! この一策を御教え下すったのは、あなたの御恵みに違いありません。ただわたしの體を捨てる、吐血とけつの病に衰え果てた、骨と皮ばかりの體を捨てる、――それだけの覚悟をしさえすれば、わたしの本望は遂げられるのです。わたしはその夜よ嬉しさの余り、いつまでも獨り笑いながら、同じ言葉を繰返していました。――「甚內の身代みがわりに首を打たれる。甚內の身代りに首を打たれる。………」
甚內の身代りに首を打たれる――何とすばらしい事ではありませんか? そうすれば勿論わたしと一しょに、甚內の罪も亡ほろんでしまう。――甚內は広い日本にっぽん國中、どこでも大威張おおいばりに歩けるのです。その代り(再び笑う)――その代りわたしは一夜の內に、稀代きだいの大賊たいぞくになれるのです。呂宋助左衛門るそんすけざえもんの手代てだいだったのも、備前宰相びぜんさいしょうの伽羅きゃらを切ったのも、利休居士りきゅうこじの友だちになったのも、沙室屋しゃむろやの珊瑚樹さんごじゅを詐かたったのも、伏見の城の金蔵かねぐらを破ったのも、八人の參河侍みかわざむらいを斬り倒したのも、――ありとあらゆる甚內の名譽は、ことごとくわたしに奪われるのです。(三度さんど笑う)云わば甚內を助けると同時に、甚內の名前を殺してしまう、一家の恩を返すと同時に、わたしの恨うらみも返してしまう、――このくらい愉快な返報へんぽうはありません。わたしがその夜よ嬉しさの余り、笑い続けたのも當然です。今でも、――この牢ろうの中でも、これが笑わずにいられるでしょうか?
わたしはこの策を思いついた後、內裏だいりへ盜みにはいりました。宵闇よいやみの夜よの淺い內ですから、御簾みす越しに火影ほかげがちらついたり、松の中に花だけ仄ほのめいたり、――そんな事も見たように覚えています。が、長い廻廊かいろうの屋根から、人気ひとけのない庭へ飛び下りると、たちまち四五人の警護けいごの侍に、望みの通り搦からめられました。その時です。わたしを組み伏せた鬚侍ひげざむらいは、一生懸命に縄なわをかけながら、「今度こそは甚內を手捕りにしたぞ」と、呟つぶやいていたではありませんか? そうです。阿媽港甚內あまかわじんないのほかに、誰が內裏だいりなぞへ忍びこみましょう? わたしはこの言葉を聞くと、必死にもがいている間あいだでも、思わず微笑びしょうを洩らしたものです。
「甚內は貴様なぞの恩にはならぬ。」――あの男はこう云いました。しかしわたしは夜よの明け次第、甚內の代りに殺されるのです。何と云う気味きみの好よい面當つらあてでしょう。わたしは首を曝さらされたまま、あの男の來るのを待ってやります。甚內はきっとわたしの首に、聲のない哄笑こうしょうを感ずるでしょう。「どうだ、彌三郎やさぶろうの恩返しは?」――その哄笑はこう云うのです。「お前はもう甚內では無い。阿媽港甚內はこの首なのだ、あの天下に噂の高い、日本にっぽん第一の大盜人おおぬすびとは!」(笑う)ああ、わたしは愉快です。このくらい愉快に思った事は、一生にただ一度です。が、もし父の彌三右衛門やそうえもんに、わたしの曝さらし首を見られた時には、――(苦しそうに)勘忍して下さい。お父さん! 吐血の病に罹かかったわたしは、たとい首を打たれずとも、三年とは命は続かないのです。どうか不孝は勘忍して下さい、わたしは極道ごくどうに生まれましたが、とにかく一家の恩だけは返す事が出來たのですから、………
(大正十一年三月)
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